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2021/08/08 Sun
4人の少年たちの知られざる物語「ドキュメント 天正少年使節」
こんにちは。株式会社エフィールの横井と申します。
これまでこのブログに公開していたランチの記事すべてを
「船場ランチWEB https://semba-lunch.com/」に
移行したため、このブログページでは、スタッフが読んた本や観た映画、演劇、コンサート、コミック、アニメなどなどいろんなものを紹介していきます。
よかったら見に来てください。
というわけで第1弾は本、
「ドキュメント 天正少年使節」です。
私たちの会社は雑誌などの編集や広告物の作成を生業としているのですが、最近なぜか、全然違う角度から仕事が入るようになりました。
その一つが、「コンサートの演出をしてほしい」
??? その世界のことは全くといって無知な私、しかも、ルネサンス音楽やバロック音楽など高尚な音楽の脚本・演出の依頼です。どうしたかって?
もちろん受けましたよ。「断らない」を信条としていますので。
で、なぜコンサートで「天正少年使節」なのかということなのですが、ルネサンスやバロック音楽の時代背景を調べてみると、ちょうど信長、秀吉、家康が活躍した日本の戦国時代に合致します。そして、秀吉の前で音楽を演奏したのが「天正遣欧使節団」の子供たちだということを知りました。
そうなんです、音楽の時代背景を調べるために「天正遣欧使節団」を調べてみないと、となったのです。そんな話をしていたら、コンサートの出演者が「どうぞっ」て持ってきてくれたのがこの「ドキュメント 天正少年使節」なのです。
いまから約400年前の1582年(天正10年)に、4人の少年が使節団の一員としてヨーロッパに派遣されました。伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンです。4人が長崎を出発したときは全員13歳。まさに少年です。日本ではすでに宣教師が来日して、信長もキリスト教の布教には賛成していました。そのため、4人の子供たちは宣教師が作ったセミナリヨという施設で教育を受けていたのです。
中でも優秀だった4人が選ばれ、ローマ教皇に謁見しに行くことになりました。目的は、4人の子供たちの立派な姿を見てもらうことで、日本での布教の資金を調達すること、もう一つは当時発明された活版印刷術の機械と技術を持ち帰ることでした。
今なら飛行機でぶ〜んと飛んでさっと帰ってこられますが、当時の交通手段は船のみ。しかもエンジンなどありませんから、風だけが頼りです。そのためヨーロッパまでの航海は至難の技。生きて帰れる保証もありません。そんな中で無事ヨーロッパにたどり着きます。ヨーロッパでは「ジパングの王子たち」と、至る所で歓迎されました。そして目的のローマ教皇にも無事に会うことができ、印刷機も持ち帰られました。出発してから5年後のことです。
この5年間の航海の途中でのハプニングや、ヨーロッパでの出来事、そして日本に戻ってきてからの4人の死までが、この本に詳しく綴られています。
これまであまり焦点を当てられなかった少年使節ですが、近年、新しい史料が見つかったことで、作者の志岐隆重によってその生き様が詳しく描かれています。ドキュメントとありますが、ロマンあふれる400年前の少年たちの話は、物語としても十分に面白いと思います。
なのですが、コンサートにどう活かせばいいのか。
これからしばらく、頭が痛い生活がはじまります…。
「ドキュメント 天正少年使節」
著者:志岐隆重
発行日:2010年12月1日 初版発行
発行所:株式会社 長崎文献社